ダイヤモンドめぐる内戦 アフリカ シエラレオネ 再入国果たしたシスター 「命ある限り助けたい」

 二〇〇二年十月、大西洋に面したアフリカ西部の小国シエラレオネ。世界最貧国のひとつである。ダイヤモンドをめぐり、全土で激しい内戦を繰り広げ、ようやく終結した後だったが、国土も人々も疲弊し、荒廃していた。

女子生徒たちの顔が変わった。「私たちと同じだ」。シスターの根岸美智子さん(六五)=取材当時=が、四年前の話をしたときだった。

女子生徒に自らの体験を語るシスター根岸

 一九九八年二月、根岸さんが校長を務めていた中学校の前で青年が撃たれた。反政府軍の襲撃だった。根岸さんはほかのシスターたちと、ジャングルに逃げ込んだ。

「ダイヤモンドはどこだ。ドルは…」

 三日後、突然、二人の反政府軍兵士が現れた。「ダイヤモンドはどこだ。ドルは持っているか」。深夜一時二十分。「いま助けてくれれば、後できっと助けてあげる」

 根岸さんはそう懇願したが、兵士は無言で後ろを向かせた。大声で最期の祈りをささげた。

 十秒、二十秒…。銃弾が足もとではじけた。「助かった」。神父と抱き合って泣いた。

 「帰って来ることはないだろうか。生徒たちはどうなるだろうか」。そう思いながら、救出に来た国連軍のヘリコプターに乗り込んだ。

 根岸さんは高校生の時、英語の勉強のため教会に通い、洗礼を受けた。銀行勤めの後、シスターになった。「一番、つらいことは何かと考えたとき、アフリカだったんです。怖いという先入観がありました。それに挑戦することで自分を変えたかった」

 希望通りアフリカに派遣され、シエラレオネで二十二年間過ごすようになる。

 ジャングルを脱出後、ロシアに派遣されたが、シエラレオネのことが頭から離れなかった。

 シエラレオネでは九一年、産出するダイヤモンドをめぐって反政府軍が蜂起、無政府状態に陥った。九七年には下級兵士の軍事クーデターが勃発(ぼっぱつ)。二〇〇〇年、国連の仲介でようやく停戦合意した。

内戦中に暴行され、親がわからない子どもも数多い

 暴行で生まれた子を抱えた女子生徒も

 この間の内戦は陰惨を極めた。子供たちが殺され、手足を切られる。女性は暴行を受けた。人口四百四十万人の小国で約五万人が死亡、一万人が負傷した。今年一月、武装解除が完了し、学校に生徒たちが戻ってきた。だが、暴行によって生まれた子供を抱えた女子生徒も多かった。

 「命ある限り、あの人たちを助けていきたい」。根岸さんは九月、シエラレオネに戻った。そして生徒たちの前に初めて立った。話を聞くうち、根岸さんを見る生徒たちの目が「日本人」から「シエラレオネ人」に変わった。それぞれが体験した内戦を振り返っているようにも思えた。

 その後、生徒代表のあいさつ。締めくくりはこの言葉だった。「もう戦争はいらない。暴力はいらない」。根岸さんは小さくうなずいた。

                 ◇ 

 二〇〇二年九月末から十月初めにかけ、シエラレオネ、中央アフリカを訪れた。内戦でかつてあったはずの人、心、物、建物が破壊されたシエラレオネと、まったく何もない中央アフリカ、世界最貧国でもタイプが違う二国だった。

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