沖縄戦終結後 赤トンボ特攻 日記「九三中練とはちょっと情けない」三村弘上飛曹 第三龍虎隊②

沖縄戦が終結した昭和20年7月29日に赤トンボと呼ばれた練習機で出撃した三村弘上飛曹が戦死する前、遺書と日記は残っている。

海軍上飛曹 三村弘 昭和二十年七月二十九日、沖縄・宮古島を出撃し、沖縄周辺にて戦死 岡山 予備練習生十四期 神風特別攻撃隊第三龍虎隊 二十歳

赤トンボと呼ばれた「九三中練」

 三上上飛曹は石垣島から台湾に出発する直前の四月二十日から六月九日まで断続的に日記を書き続けた。長兄の三村関次郎さんから庭月野氏が預かり、大切に保管していた。日常の軍隊生活の情景の中、刻々と迫る死を前に自らを奮い立たせるような強い言葉に隊長の責任が垣間見え、その狭間に母親への愛、好きだった女性への思いが交錯する。小さな手帳に細かい字で残された命を刻み込むようにびっしりと書き込まれている。

細かい字で手帳にびっしり

三村弘上飛曹

 

 

 茄子見れば、わが母思ほゆ。

 古郷にさびしく立ちて、

 ただ一人、鍬にぎります。

 灼けただる、あの日の元に、

 老いの身をやすめやらずも、

 征きし吾子(あこ)らがあとを守りて、

 ひたすらに、わが母は務めたまへり。

 骨身刺すあの冬の夜も、

 汗しぼるあの夏の日も、

 わが母は務めまひらす、

 務めたまへり

 昭和二十年四月二十日 晴

 我が地上砲火に依りて、撃墜されし敵兵の死体埋没に行く。頭骨は破れ蛆が五体を食ばる。臭気甚し生前の容相影かたちなし。二度と近よれず。搭乗員否敵地に屍を晒す者のあわれさを思ふ

 四月三十日

 空襲は石垣島よりはるかに稀なり。大型機来襲あり。防空壕に退避するを、おおむねの日課とす。外出初めての新竹の横顔を窺ふ。

 

 死ぬんだと思った。俺はここで死ぬんだと。天佑神助、身は新竹にあり。死がかなしい。そんな気持ちはない。やるんだ。神に応えて、雲と散るんだ。覚悟は既に出来た。行こう。撃滅に飛び立とう。

出撃した宮古島に建立された慰霊碑

もう死んでると思っているであろう

 

 五月一日 細雨 

 家への手紙を書きかけて止めた。もう死んでいると思っているであろうと、暗い廊下を歩きながら一人思ふ。

 

 五月二日 雨 

 雨で何も出来ない、トランプ占いをやったりしたが、どうも好いのが出ない。何もやることがない。雨は絶えず降っている。内地便があるので手紙でも書こうかと思ふてみたが、思ふてみたに過ぎない。

 

 五月六日 薄曇 

 ロッキードをはじめて見る。色々の仮入隊は来るが、話を聞いて見ると羨ましいものばかりだ。午後は映画の準備をす、終了後が休む。夜映画見学。皆外出して好い所に行く。

 二十一年の命

 長くはなかった。

 お母さん

 まだ私は生きている。

 ああも斯(こ)うもと思いしが、

 思いしことの半ばすら

 死に場所すらも得なかった。

 

 ドイツの降伏と我々

 西暦一千八百四十五年

 

 ついに西欧の獅子ドイツは降伏した。彼だけはと信じていたことも過信に終わったのだ。破竹の勢いで進んでいた彼であったが、彼もまた西欧文化に身を起こしたただの一国にすぎなかったことを、今になって世の人々は感じたであろう。その勇猛は唯のスポーツ的なものと云われても返す言も持たないではないか。盟胞ドイツを囃し立て1年は過ぎ去った夢であった。勝利は時の運と彼らが云えばおれは云はして置く。去るものは追はず来るを拒まず。露国が極東を窺ふか、或いは英国に向ふか、又自領を固めるか、それは知らない。

 世論に迷わず政治にかかわらず、ただ己の忠節を尽くすのみだ、愈々もって身の責任の重きを痛感するものなり。

 

 祖父は常に私の身辺に居ますことを信じて疑わない。以来、私は迷う様なことのある時は常に祖父が好いようにして下さる。そう思って心の落ち着きを見出す。そして幾年か、一度として私の為にならぬ様なことはして下さらなかった。今重き使命を帯びて身を捧げんとす。

 今こそ立派な働きをして祖父に喜んで戴くべく御冥福を祈りつつその機を待っている。

アレ誰かなと思ってみると、小糸兵曹のだった

 五月九日 晴

 外出から朝帰ってみると、遺骨が安置されている。アレ誰かなと思ってみると、小糸兵曹のだった。

 

 五月十二日 薄曇 食事後寝る。外出。近いうちに虎尾に行くらし。

 九三中練で死ぬとは思いもよらず。

 五月十三日 晴 

 午前午後とも休養する。総攻撃開始さる。玉井の同期生が一人死んだそうだ。今遊んでいるが、撃烈なる砲火を浴びて死んで行く人もある。あとから行くぞ。

 五月十四日 曇後小雨

我慢して頑張ろう、死に場所。

 官舎に入ってからは別に用事がないので遊ぶばかりだ。ハーモニカを吹いたり、唄ったり朝から晩まで騒いでいる。だいたい虎尾に行くことが決まったらしい。

 九三中練とはちょっと情けないが、我慢して頑張ろう、死に場所。

以前の滑走路近くにある慰霊碑=宮古島

Follow me!

沖縄戦終結後 赤トンボ特攻 日記「九三中練とはちょっと情けない」三村弘上飛曹 第三龍虎隊②” に対して5件のコメントがあります。

  1. Good post. I learn something totally new and challenging on websites I stumbleupon every day. Its always exciting to read articles from other authors and use something from other sites.

  2. Can I just say what a comfort to discover someone that actually knows what theyre discussing on the internet. You definitely know how to bring an issue to light and make it important. More people must check this out and understand this side of the story. I cant believe you arent more popular since you certainly possess the gift.

  3. אני מאוד ממליץ על אתר הזה כנסו עכשיו ותהנו ממגוון רחב של בחורות ברמה מאוד גבוהה. רק באתר ישראל נייט לאדי https://romantik69.co.il/

  4. BobbyBulge より:

    online pharmacies of canada [url=https://nienalo.strikingly.com/#]pharmacies shipping to usa [/url]
    viagra pharmacy 100mg pills viagra pharmacy 100mg
    canadian prescriptions online https://nienalo.strikingly.com/

  5. ピンバック: online pharmacies

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です