戦地からの遺書
赤トンボで特攻 宮古島から出撃 第三龍虎隊⑤

戦闘機は時速六百キロで飛ぶが、赤トンボは時速二百十キロ、わずか三百馬力しかない。通常三十キロ爆弾二基搭載の貧弱な航空機に二十五番と呼ばれる二百五十キロ爆弾を抱え、敵軍まっただ中の沖縄本島海域の米艦隊を攻撃するという無謀極 […]

続きを読む
戦地からの遺書
沖縄戦終結後 赤トンボで特攻 宮古島 作家の古川薫に匿名の遺書 川平誠一飛曹  第三龍虎隊④

◇海軍一飛曹 川平誠 昭和二十年七月二十九日、沖縄・宮古島を出撃し、沖縄周辺にて戦死 静岡 甲飛十二期 第三龍虎隊 二十歳 遺書 貴方が誠心整備された栄光の赤トンボを操縦して行きます  取り急ぎ一筆します。自分は今、台湾 […]

続きを読む
戦地からの遺書
沖縄戦終結後 赤トンボで特攻戦死 日記「年21ともなれば愛もあり恋もある」三村弘上飛曹 第三龍虎隊③

沖縄戦が終結した昭和20年7月29日に赤トンボと呼ばれた練習機で出撃した三村弘上飛曹が戦死する前、遺書と日記が残っている。 海軍上飛曹 三村弘 昭和二十年七月二十九日、沖縄・宮古島を出撃し、沖縄周辺にて戦死 岡山 予備練 […]

続きを読む
戦地からの遺書
沖縄戦終結後 赤トンボ特攻 日記「九三中練とはちょっと情けない」三村弘上飛曹 第三龍虎隊②

沖縄戦が終結した昭和20年7月29日に赤トンボと呼ばれた練習機で出撃した三村弘上飛曹が戦死する前、遺書と日記は残っている。 海軍上飛曹 三村弘 昭和二十年七月二十九日、沖縄・宮古島を出撃し、沖縄周辺にて戦死 岡山 予備練 […]

続きを読む
戦地からの遺書
沖縄戦終結後 宮古島から赤トンボで特攻 三村弘上飛曹 第三龍虎隊①

沖縄戦が終結した昭和20年7月29日に赤トンボと呼ばれた練習機で出撃した三村弘上飛曹が戦死する前、遺書と日記が残っている。 海軍上飛曹 三村弘 昭和二十年七月二十九日、沖縄・宮古島を出撃し、沖縄周辺にて戦死 岡山 予備練 […]

続きを読む
戦跡を行く
大和、武蔵が並んでいたトラック泊地 

戦前、南洋庁トラック支庁や海軍第四艦隊司令部が置かれていたトラック諸島は現在、ミクロネシア連邦チューク州になっている。世界最大級の200キロの環礁内には100島が点在。海軍聯合艦隊の泊地であり、昭和18年2月11日、「大 […]

続きを読む
戦跡は語る
忘れられた玉砕のペリリュー島 パラオ 天皇皇后両陛下慰霊

 日本軍約一万名が玉砕、米軍の死傷率も史上最も高い約六十パーセントに上り、語られることが少ないため「忘れられた戦場」と呼ばれるパラオ諸島ペリリュー島。しかし戦後七十年の平成二十七(2015)年四月九日、天皇皇后両陛下が慰 […]

続きを読む
戦跡は語る
キスカ撤退の指揮官、木村昌福中将の日記展示 

青森県むつ市にある北洋館は海自大湊地方隊内にある。「北方の海上防衛」をテーマとした貴重な史料が展示されています。奇跡のキスカ撤退の指揮官、木村昌福中将の取材で2008年8月に訪問した。木村中将自筆の日記などが公開されてい […]

続きを読む
戦跡は語る
悲劇の戦艦「陸奥」 海底に横たわる映像

昭和18(1943)年、瀬戸内海で原因不明の爆発を起こし沈没した戦艦「陸奥」の船影をとらえた立体画像がある。「悲劇の戦艦」と呼ばれた陸奥の船影は、第6管区海上保安本部が撮影した。陸奥は連合艦隊の旗艦として活躍したが、昭和 […]

続きを読む
戦跡は語る
回天の島 人間魚雷の訓練基地 大津島 海中特攻、145名戦死

山口県周南市の徳山港から船で45分の大津島。何もない辺鄙な島に年間1万5000人が訪れる。島には先の大戦中、海軍が投入した人間魚雷「回天」の訓練基地が残っている。港から5分ほど、回天を運んだトロッコレール跡があるトンネル […]

続きを読む