「環境によって発生する」がん発生論発表 山極勝三郎(中)

 山極(やまぎわ)家の長女、包子(かねこ)と結婚し養子となった勝三郎(1863~1930年)は1888年、東京大学医学部を卒業する。当時、日本の病理学研究は北里柴三郎がペスト菌、志賀潔が赤痢菌を発見するなど世界の最前線だった。

 すでに世界を見据えていた勝三郎は1892年、念願のドイツ留学を果たす。ベルリン大学のウィルヒョウ研究所で、コッホが発表したツベルクリンの研究を行うのが目的だった。当時、結核治療の新薬として注目されていた。

 初下がるな。東洋から来た人めて研究室を訪れた際、並んだ頭蓋骨の一つが動いたように見え、勝三郎は思わず後ずさりする。

「下がるな。東洋から来た人」いつも前へ前へ

 「下がるな。東洋から来た人」。動いたのはウィルヒョウの頭だったのだ。ウィルヒョウは握手の手を差し出し、こう諭すように言った。

 「下がってはいけない。進歩的な国民は下がってはいけない。いつも前へ前へ前進するだけだ」。ウィルヒョウの最初の教えだった。下宿先には原子物理学の長岡半太郎もいた。

 円満、高潔な人柄のウィルヒョウは「いつも人のためになることを地道に実行せよ」が信条で、勝三郎は生涯、恩師と同じように生きる。

 無論、ウィルヒョウの学問的影響は計り知れない。「細胞病理説」「細胞刺激説」を門下生として直接学び、後にウィルヒョウが唱えたがんの発生原因としての環境刺激説を立証することになる。

 帰国後、医学部教授となった勝三郎が担当した病理学教室で解剖した多くが胃がんだった。なぜがんが発生するのか。遺伝説や環境刺激説など諸説あり、どれも明確な説明はできなかった。その中で、勝三郎は、「胃癌(がん)発生論」を出版。「胃がんはがんが発生しやすいような環境によって生じるものである」と主張したが、多くの疑問が呈された。

山極がコールタールを塗り続けたウサギの標本

 実証する近道はがんを人工的に発生させることだった。コールタールを扱う労働者に皮膚がんが多いことは分かっていた。勝三郎は実験動物にコールタールを塗り、発がんさせる実験にのめり込む。

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