たった一人のPKO カンボジアで地雷除去 元自衛官 高山良二
現地に入って半年、順風満帆、思い描いた通りだった。隊員に気の緩みが出ていることが気になっていたが、そのままにして、一時帰国するつもりだった。タサエンまで車で12時間。後悔する時間はたっぷりあった。
「地雷の爆発事故が起きた。吹き飛んで何人かいなくなった」。2007年1月19日、カンボジア・プノンペンの高山良二さんに連絡が入った。NPO法人「日本地雷処理を支援する会」の現地代表としてバタンバン州タサエン村で陣頭指揮を執っている。カンボジアには内戦時、400万~600万個の地雷が埋められた。
亡くなったのは7人。遺族から責める声は一切なかった。いまでも付き合いがある。中元に鶏を持ってきてくれ、近くに行ったときには声をかける。「かわいい息子や娘が死んだのに、恨みつらみもない」。ますます村を離れられなくなった。
1992年、カンボジアのPKO(国連平和維持活動)に参加した。通常の陸上自衛隊任務では得られない使命感があった。「もっと人に認められたい。ほめられたいと思うのは理屈じゃない」。定年後の命の使い方がわかった。
地雷処理は草を刈る隊員と金属探知機で地雷を発見する隊員の2人1組で1・5メートル幅を40センチずつ交互に作業し、10メートル進んだら、横にずれ、また40センチずつ進む。地道である。
「自分たちの村は自分たちでつくる。与えられた平和や安全、土地では意味がないんです」
地元の若者に仕事を与える意味もある。月給105ドルのうち30ドルを退職金として積み立てている。
昨秋、補充隊員募集に22歳の青年が応募してきた。志望書類がある。
「仕事に従事できる人間だと社会に認めてもらいたいのです。社会に必要とされることで家族に誇りも生まれる。家族を地雷の恐怖から救うことができる。だから私のような貧乏人がこの仕事に就きたい」
地雷処理ができるのは1日100平方メートル。わずかずつだが、国が広がっている。
カンボジア内戦、各国が支援 中国製、旧ソ連製、ベトナム製の地雷
現地ではではポルポト軍とプノンペン政府軍、政府軍を支援するベトナム軍との激しい内戦を展開した。そのため、各軍を支援した国で製造されたさまざまな種類の地雷や不発弾が埋められている。
TM46型対戦車地雷(中国製および旧ソ連製)、Type69対人地雷(中国製)、72A型対人地雷(中国製)、PMN対人地雷(旧ソ連製)、PMD6対人地雷(旧ソ連製)、NOMZ2B対人地雷(ベトナム製)などがある。
戦闘員や戦車などでの敵の前進を遅らせる、敵に使わせたくない場所や陣地を敵から守るなどに使われた。対人地雷は手足にけがを負った兵士を助けるため、他の兵士が必要になり戦闘能力を弱める。金属探知機が反応しにくいプラスチックでできた地雷もあり、困難を極める
以下、高山良二さんのあいさつ文
1992年~93年にかけて、私はカンボジアにおける国連平和維持活動(カンボジアPKO)に自衛官として赴任いたしました。そして6ヵ月の任期が終わり帰国する際、機内の小窓から、遠のいていくメコン河やヤシの木が点在するカンボジアの大地を眺めながら、「自分は、この半年間何ができたのだろうか」と、自問自答していました。その答えは、「何もできはしなかった」との悔しさであり、納得がいかない思いが残りました。「もう一度ここに戻って来よう。そしてやり残したことをやろう」と自分に誓いました。
それから10年が経ち、2002年、自衛官を定年退官した3日後には、再びカンボジアに向かう飛行機に乗っていました。眼下に広がるカンボジアの大地を見下ろしながら、戻ってきたことの嬉しさ、自分への約束を果たしたような心境でプノンペン空港に降り立ちました。
当初はベトナム国境付近で不発弾処理活動を行っていましたが、2006年からは、タイと国境を接する地域で地雷・不発弾処理活動を行うようになりました。この地域で活動するようになった理由は、「地雷が一番多く埋設されていて、最貧困の村で活動したい」という私の希望に対して、カンボジア地雷対策センター(CMAC)のラタナ長官が、カンボジアの北西部にあたるバッタンバン州カムリエン郡タサエン地区を指定したためでした。
村に入って感じたことは、やはり地雷被災者が多いというのはもちろんでしたが、道路も最悪で、エイズやマラリア、デング熱が多発していて、村人はわずかな畑で細々と農業を営み、働く場所がないため、隣国タイに売られていく女性もあるなど、とにかく劣悪な環境だということでした。
タサエン地区だけでも1ヘクタール以上の地雷原が60箇所はあるとのデータを、タサエン地区の責任者に見せられた時、何とか6~7年かけて除去できればと思っていました。しかし現実には、カンボジア政府が指定した地雷原以外にも、畑や民家などあらゆる場所に地雷が埋まっており、10年以上経過した現在もまだ地雷除去を続けなければならない状況です。
内戦という厳しい環境にさらされた地域で、戦後処理をやりながら平和の尊さを訴え続け、「どうしたら戦争や紛争のない社会が構築できるか」という現実的な平和構築の種まきを世界に広げていきたいと思っています。
激しい戦火のあった地域で黙々と地雷や不発弾という負の遺産と向き合いながら、空想的な平和論ではなく、現実的な平和論を訴えて「平和の種をまく」活動がIMCCDの使命だと思っています。
引き続き、皆様のご支援、ご協力をお願い申し上げます。有難うございます。