ウサギの耳にがん 幻となったノーベル賞 山極勝三郎(下)

コールタールを塗り続けたウサギの標本

 動物の耳は自然にがんができないと信じていた山極勝三郎(やまぎわかつさぶろう)(1863~1930年)は耳に刺激を与えることで人工的にがんを発生させる実験に取り組む。助手の市川厚一は指示どおり、来る日も来る日もウサギの耳にコールタールを塗り込んだ。

 だが、その間の大正2(1913)年、デンマークのフィビゲルが寄生虫に感染したゴキブリをラットに食べさせ、胃がんをつくることに成功したと発表する。これが世界初の人工がん発生だった。

 その2年後の9月、ついにウサギの耳にがんが発生する。この実験の成果を信用する医学者は少なかったが、千葉医学専門学校(現・千葉大医学部)で、勝三郎の実験にならい、コールタールをマウスの背中に塗る実験を行ったところ短時間でがんが発生、勝三郎の発がんが実証される。

 当時、日本の公衆衛生は伝染病が重要視され、がんは軽視されていたが、勝三郎はがんの治療実験に進む。マウスに発生した腫瘍をウサギに注射すると、ウサギの血清や臓器に腫瘍を抑える抗体ができると考えたのだった。この実験が実を結ぶことはなかったが、後の治療実験に大きな影響を与える。

 1925年、1926年と2年続け、ノーベル医学・生理学賞にノミネートされる。2人の審査員のうち、ひとりは「人工がんは賞に値し、フィビゲルと勝三郎の2人に授与すべきだ」としたが、共同受賞とはならず、フィビゲルだけが受賞することになった。

 その2年後にもノミネートされる。しかし、またも受賞はできず、世界で2番目に人工がんを発生させた人物として1930(昭和5)年3月2日、生涯を閉じる。

 しかし、フィビゲルの実験に疑いを持つ者も多かった。後年になり、米国の医学者2人がフィビゲルの実験で発生したものはがんではなく、標本にもがんは残っていなかったと発表。この時、世界初の栄誉は勝三郎のものとなった。

 1966年10月、東京で開かれた「世界ガン学会」の冒頭、会長が「世界のがん研究は山極博士によって開発されたのです」と述べ、幻のノーベル賞受賞者、山極勝三郎の功績をたたえた。

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