第六潜水艇 佐久間勉艇長の遺言㊥

佐久間艇長

 明治43(1910)年4月15日、山口県新湊沖で訓練中に遭難した「第六潜水艇」の佐久間勉艇長以下全員が配置に就いたまま殉職していたという報は引き揚げ翌日の新聞に掲載され、日本中が14名の「海軍魂」に感動の渦に包まれる。

 だが、佐久間の恩師、福井県立小浜中学校の成田鋼太郎は「職務に忠実なりしは軍人の本領を発揮して余りありといへるに過ぎず。予は甚(はなは)だ物足らぬ心地せり」と記し、「温厚にして沈勇。小心にして大胆」の佐久間ほどの人物なら当然で、「而(しか)して徒(いたずら)に窒息斃死(へいし)せしか。この際一つの異彩を放てること無かりしか」と大いに不満を持っていた。

おわびから始まる艇長の遺書

佐久間艇長の遺書

 成田の想像通り、佐久間は最期まで異彩を放つ。引き揚げの際、机上にあるずぶぬれの手帳が発見されていた。「佐久間艇長の遺書」だった。

 公表された遺書は冒頭、「小官(しょうかん)の不注意により、陛下の艇を沈め、部下を殺す、誠に申訳無し」とわび、「されど艇員一同、死に至るまで、皆よくその職を守り、沈着に事処(しょ)せり」と部下の職務を称賛する。さらに「我れ等(ら)は国家の為(た)め、職にたおれしと雖(いえど)も」と、この事故が潜水艇発展の妨げになることを憂い、さらなる発展研究を望むと続く。

佐久間艇長の遺書 書き進めるにつれ、字が乱れていく

小官の不注意により、陛下の艇を沈め、部下を殺す、誠に申訳無し

 「沈没の原因」というタイトルから始まる詳細な報告がなされ、「潜水艇員士卒は抜群(ばつぐん)中の抜群者より採用するを要す、かかるときに困る故(ゆえ)、幸に本艇員は皆よく其(その)職を尽(つ)くせり、満足に思ふ」と再度、部下の忠誠をたたえる。

 最後に「公遺言」として「謹んで陛下に白(もう)す、我(わが)部下の遺族をして、窮(きゅう)するもの無からしめ給(たま)はらん事を、我(わ)が念頭に懸(かか)るもの之(こ)れあるのみ」と部下の遺族の救済を依頼している。

 陛下に宛てた直訴状を書き残すとは考えられない時代。それほどに佐久間の部下に対する情愛と信頼が感じ取れるのではないだろうか。

 佐久間の報告は12時40分が最後の記述とみられている。

  

若狭町にある「沈着勇断」の碑 修身の教科書には「沈勇」のタイトルで掲載されたいた

佐久間艇長の遺書全文 沈着勇断

 

小官の不注意により

陛下の艇を沈め

部下を殺す、

誠に申し訳なし、

されど艇員一同、

死に至るまで

皆よくその職を守り

沈着に事をしょせり

死に至るまで

沈着に事をしょせり 我れ等は国家のため 職に倒れ死といえども

皆よくその職を守り

沈着に事をしょせり

我れ等は国家のため

職に倒れ死といえども

ただただ遺憾とする所は

天下の士は

これの誤りもって

将来潜水艇の発展に

打撃をあたうるに至らざるやを

憂うるにあり、

願わくば諸君益々勉励もって

この誤解なく

将来潜水艇の発展研究に

全力を尽くされん事を

さすれば

我ら等一つも

遺憾とするところなし、

沈没の原因

沈没の原因

ガソリン潜航の際

過度探入せしため

スルイスバルブを

締めんとせしも

途中チエン切れ

よって手にて之を閉めたるも後れ

後部に満水せり

約二十五度の傾斜にて沈降せり

沈据後の状況

一、傾斜約仰角十三度位

一、配電盤つかりたるため電灯消え

電纜燃え悪ガスを発生

呼吸に困難を感ぜり、

十四日午前十時頃沈没す、

この悪ガスの下に

手動ポンプにて排水につとむ、

一、沈下と共にメインタンクを

排水せり

灯り消えゲージ見えざるども

メインタンクは

排水し終われるものと認む

電流は全く使用するにあたわず、

電液は溢れるも少々、

海水は入らず

クロリンガス発生せず、

残気は五百ポンド位なり、

ただただ頼む所は

手動ポンプあるのみ、

ツリムは安全のため

ヨビ浮量六百

モーターの時は二百位とせり、

右十一時四十五分

司令塔の灯りにて記す

溢入の水に浸され

乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、

余は常に潜水艇員は

沈着細心の注意を要すると共に

大胆に行動せざれば

その発展を望むべからず、

細心の余り

萎縮せざらん事を戒めたり、

世の人はこの失敗を以て

あるいは嘲笑するものあらん、

されど我は前言の誤りなきを確信す、

一、司令塔の深度は五十二を示し、

排水に努めども

十二時までは底止して動かず、

この辺深度は十尋位なれば

正しきものならん、

一、潜水艇員士卒は

抜群中の抜群者より採用するを要す、

かかるときに困る故、

幸い本艇員は皆良くその職を

尽くせり、満足に思う、

我は常に家を出ずれば死を期す、

されば遺言状は既に

「カラサキ」引き出しの中にあり

(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ之を愚父に致されよ)

我が部下の遺族をして 窮するもの無からしめ給わらん事を

公遺言

謹んで陛下に申す、

我が部下の遺族をして

窮するもの無からしめ給わらん事を、

我が念頭に懸かるものこれあるのみ、

右の諸君によろしく(順序不順)

一、斎藤大臣 一、島村中将

一、藤井中将 一、名和少将

一、山下少将 一、成田少将

(気圧高まり

鼓膜を破らるる如き

感あり)

 

十二時四十分なり、

一、小栗大佐 

一、井出大佐

一、松村中佐(純一)

一、松村大佐(竜)

一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)

一、船越大佐、

一、成田鋼太郎先生

一、生田小金次先生

十二時三十分

呼吸非常に苦しい

ガソリンをブローアウト

せししつもりなれども、

ガソソリンにようた

一、中野大佐、

十二時四十分なり、

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です