忘れがたき偉人伝
世界初の人工がん発生に成功 山極勝三郎(上)

 昭和41(1966)年10月、羽田空港。スウェーデンからの日航機で一人の老紳士が降り立った。元ノーベル賞選考委員で王立カロリンスカ研究所のフォルケ・ヘンシェン名誉教授は、待ち構えた新聞記者に対しこう言った。  「世界の […]

続きを読む
忘れがたき偉人伝
大久保利通の「而盡」削る豪胆さ 小花作助㊦

 小笠原・父島中心部から5㌔ほどの小笠原神社参道わきに「開拓小笠原島之碑」がある。  当時の内務卿、大久保利通が撰文、日下部東作が書を、石工は広群鶴で、明治10年に建立された。風雨にさらされ読みにくい箇所はあるが、明らか […]

続きを読む
忘れがたき偉人伝
小笠原を日本に奪い返した官吏 小花作助㊤

 東京の南南東約1千㌔の小笠原諸島は父島や母島、硫黄島の島から成り立っている。この島々を外国人から取り戻した男こそが小花作助(1829~1901年)だ。  江戸時代の1670年、八丈島経由で生還したみかん船の乗組員が幕府 […]

続きを読む
渇望のアフリカ
混血進むピグミー族の村 アフリカ・カメルーン

アフリカ・カメルーン南部のピグミー族の村を訪ねた。ピグミーは成人男子の平均身長が150センチ以下の民族の総称で、現地ではバカ族という。アフリカと東南アジアの熱帯森林地帯に分布。思春期に成長ホルモンが分泌しないことが低身長 […]

続きを読む
辺境を行く
日本統治時代の建物も 樺太(サハリン) ユジノサハリンスク(豊原)

宗谷岬の北に日本が統治した樺太(サハリン)がある。東京からわずか2時間のフライトで到着。州都ユジノサハリンスク(豊原)には日本の建物も点在し、樺太鉄道を走っていた機関車や樺太博物館もそのまま残されている。

続きを読む
戦跡は語る
忘れられた玉砕のペリリュー島 パラオ 天皇皇后両陛下慰霊

 日本軍約一万名が玉砕、米軍の死傷率も史上最も高い約六十パーセントに上り、語られることが少ないため「忘れられた戦場」と呼ばれるパラオ諸島ペリリュー島。しかし戦後七十年の平成二十七(2015)年四月九日、天皇皇后両陛下が慰 […]

続きを読む
チベット巡礼
少年から老僧までが修行する僧院 チベット

ゴンパと呼ばれるチベット仏教の僧院は全土に点在している。5、6歳の少年から老僧までが敷地内で修行を続け、少年僧は2年間、読み書きを習い、経を暗記する。その後、般若など学問が高度になる。生活は質素で飲酒、喫煙、踊りは禁止。 […]

続きを読む
YS11の設計者 木村秀政
初の国産旅客機 YS-11設計者 木村秀政 ④

  夢をのせ「あすも翔ぶ」  航空日本復活の威信をかけて設計された「YS-11」。機体は故障もなく操縦もしやすい。しかし、商業的には失敗した。「技術者の良心」だけでは売れなかった。  航空機産業は世界中で激しい売り込み工 […]

続きを読む
YS11の設計者 木村秀政
初の国産旅客機YS-11設計者 木村秀政③

5人のサムライの激論    日本初の国産旅客機「YS-11」の開発に取り組んだ東大航空学科の同期、木村秀政と堀越二郎。  木村は堀越を「飛行機を設計する場合、ひとつの点だけを徹底追求すると非常に特徴のある飛行機ができる。 […]

続きを読む
YS11の設計者 木村秀政
初の国産旅客機 YS-11設計者・木村秀政 2

  GHQから禁止された「空白の7年」  連合国軍総司令部(GHQ)は航空日本の復活を恐れていた。昭和二十年十一月十八日、航空機の生産、研究、実験のすべての活動を禁止した。東大航空研究所も解散を命じられた。  木村秀政は […]

続きを読む